私は1980年の早生まれ。
私が高校生だった頃は、高校2年生の終わり頃から、将来の進路考えることが一般的でした。就職するのか、専門学校へ行くのか、それとも大学へ行くのか、みんなそれぞれに悩みを抱えながら進路を考えていました。
当時はフリーターという言葉が出始めた頃で、一度でもフリーターなんてやったらまともな会社に就職できない。フリーターなんてやったらバカだ、アホだと言われており、メディアでは社会問題化されていました。私も高校3年生のときには、同級生にそのようなことをよく言われていました。
同級生:斉藤は卒業後どうするの?
斉藤:まだ考えてないけど。
俺に勉強は無理だと思う。やったことないし。同級生:俺はフリーターにはなりたくないから。
でも特に目標もないからとりあえず大学へ行くよ。斉藤:目標ねぇ。俺もないよ。
同級生:フリーターなんてやったってしょうがねえよ!
フリーターは将来やばいよ!
このような会話は高校3年生にもなると、毎日のように繰り返されたことです。ご両親が、とりあえず大学へ行け、フリーターなんてやるな、将来はないぞと、言われるのはもっともことだと思います。しかし、私はそこまでフリーターやニートに将来はないとは思いません。
勉強なんてそんなにしたくないし、将来のことなんて分からない、友達とも遊びたい、それが高校3年生のふつうの感覚です。高校3年生に進路の選択をせまるのはちょっと酷なことのようにも思います。
どうして勉強が大切なのかという疑問への、大人たちの答えはいつも決まっています。良い大学を卒業して、大手企業に入るためというものです。でも、私は中学生ぐらいから、そのように言う大人たちを、あまり信用していませんでした。
良い大学に行って、良い会社に入って俺は幸せなのか。
良い大学、良い会社に入って優越感を感じているのは、自分ではなく先生や親なのではないかといつも思っていました。
勉強をさせるための理由が、良い大学に行くことや、良い大企業に入ることという、遠い将来の分かったような、分からないようなものですから、いまいち説得力に欠けるのです。先生や親が、その程度の理由しか言えないようでは、やはり子どもたちの勉強だって続くはずがありません。
先生や親の顔色をうかがいながら、先生や親に褒められたいから、勉強するという子どもがなんと多いことでしょうか。そういう子どもは、自ら勉強を楽しんでやっているわけではないので、本来は面白い勉強も続かなくなってしまうのは当然なのです。
でも、もうそろそろ勉強して有名大学、一流企業に入れたら、幸せになれると教える時代も終わりに近づいていることに気付いているのではないのでしょうか。どうして勉強が大切なのかという疑問に皆さんは答えられますか。
つづく
